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大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)287号 判決 1963年11月27日

原告 杉本定雄

被告 株式会社深野商店 外一名

主文

被告両名は各自原告に対し、金五七万九一一三円及びこれに対する昭和三七年二月一五日以降右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告等の負担とする。

この判決は主文第一項に限り、原告において、被告両名に対し、各金一九万円の担保をそれぞれ供するときは、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告両名は各自原告に対し、金八三万八一三一円及びこれに対する昭和三七年二月一五日以降右支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告は帽子製造を業とするものであり、又被告株式会社深野商店(以下被告会社と称する)は、酒、醤油類等の販売を業とする株式会社であつて、被告岡嘉文は右被告会社に雇われ、被告会社所有の原動機付自転車(大阪市二―五九八五一号)を運転して、被告会社の酒、醤油類等の配達業務等に従事していたものである。

二、ところで被告岡は昭和三四年三月二〇日、大阪市東住吉区今川町三丁目方面にある被告会社の得意先に商品を配達すべく、前記原動機付自転車にソース等を積み、該自転車を運転して、通称旧矢田街道を時速約三〇粁で北進し、同日午後一時一五分頃、同市同区田辺本町七丁目一一番地先の右旧矢田街道と、同所附近から東西に通ずる道路とが直角に交り、かつその西方右東西に通ずる道路上の見透のきかない十字路(交叉点)の手前附近にさしかかつたが、かかる場合には、原動機付自転車の運転者たる者は、右交叉点の西方東西に通ずる道路上から、右交叉点に進入してくる自転車等のあることを予測して、前方及び左右を注視すると共に警笛を吹鳴して警告を発し、かつ何時でも急停車できるように適宜減速して右交叉点を進行し、以て事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、被告岡は右注意義務を怠り、警笛を吹鳴せず、かつ対抗車とすれ違うため一時減速した速度を、右交叉点の直前においてチエンジをトツプにし、時速を約三〇粁に加速して進行したため、折から原告が自転車に乗り、右交叉点から西方東西に通ずる道路上を東進してきて、右交叉点を西から東に横断しようとするのを、その直前約七米に接近した地点で始めて発見し、危険を感じて直ちに急制動をかけ、かつハンドルを右に切つて衝突を避けようとしたが及ばず、同所附近で前記原動機付自転車の左バンバー附近を原告の自転車前部に突当てて原告をその場に転倒させ、よつて原告に脳震盪症右膝蓋骨骨折兼膝関節部挫創、陰茎挫創、両上肢挫傷、顔面挫傷等の重傷を負わせた。

三、しかして原告は右事故により、次の通りの損害を蒙つたが右損害は被告岡が被告会社の業務を執行するにつき、その過失によつて原告に蒙らせた損害であるから、被告両名は原告に対し、右損害を賠償すべき義務がある。すなわち、

(一)  原告は前記事故のため、事故当日の昭和三四年三月二〇日から同年八月七日まで大阪市東住吉区中野通り二丁目一四番地の中野病院に入院し、右膝蓋骨等の手術を受けるなどして前記傷害の治療を受けたが、被告会社は同年五月一〇日までの右中野病院に対する入院費、治療費等計金五万六九五五円を支払つたのみで、その余の支払をしなかつたので、原告は現在右中野病院に対し、合計金六万八三七〇円の入院、治療費の支払債務を負担している。

(二)  次に原告は右中野病院を退院した後同病院における治療の効果が芳しくなかつたため、その頃大阪市阿倍野区旭町一丁目六一番地の大阪市立大学医学部附属病院において診断を受けたところ、再手術の必要があるとのことであつたので、原告は同年八月一七日から同年一一月一日まで右大学の附属病院に入院して右膝蓋骨切除の手術を受け、更に右退院後も同附属病院に通院してその治療を受け、その間の入院費、治療費、その他の雑費等として右附属病院外二名に対し、合計金九万四六一一円を支払つた。

(三)  次に原告は前記の通り帽子製造業を営んでいるものであるが、右原告の営む帽子製造業は、生地を裁断してその加工をすることを内容とするものであつて、原告は本件事故当時、その家族(妻、娘)の外、二、三名の女子従業員を雇入れて家内工業的にこれを営んでいたところ、右帽子の製造に必要な生地の裁断は専ら男子である原告がこれを行い、他の者のなかには右生地の裁断をなし得るものはなかつた。

しかるに右原告は本件事故により、事故当日の昭和三四年三月二〇日から同年一一月一日までは前記の如くほとんど中野病院や大阪市立大学附属病院に入院しており又同年一一月一日右大学附属病院を退院した後も、同三五年四月末頃までは、右膝蓋骨骨折による右足の屈伸障害のため松葉杖なしでは歩行することさえも困難であつて、その間右裁断の仕事に従事することは勿論、その他の仕事に従事することさえも不可能となつた。そこで原告はやむなく昭和三四年三月二二日乃至二三日頃から訴外杉森義一を原告に代る裁断士として雇入れ、右同人にその労賃として、右雇入れの日から同三五年四月末日頃までの間に右同人が裁断した帽子の裁断数合計一万八七五七・五ダースに応じ、一ダース当り金二〇円、合計金三七万五一五〇円を支払つたが、右は原告が本件事故により蒙つた積極的損害である。

(四)(1)  次に原告は本件事故によつて受傷した右膝蓋骨骨折により現在その右膝を垂直に伸ばすことができず一七〇度が限度であり、又内屈も一〇〇度以内に屈縮することができず、その筋力も四となり(正常は五である)、更に右膝蓋骨は摘出されて存在せず歩くにも跛行をしなければならない状態であつて、右症状は将来も完治する見込がなく、その点後遺症として残こるのである。

(2)  又原告は原告方一家の主人であると同時に帽子製造業を営む経営主であり、本件事故当時五三才(明治三九年五月一一日生)で人生の最も充実した活動のなし得る時期にあつたところ、本件事故のため前述の如く回復不能の不具者となり、本件事故後右傷害による肉体的、精神的苦痛懊悩はもとより、現在も不自由な足を引摺りながら帽子製造の雑役に従事している有様であつて、将来における右事業の経営上、生活上はもとより、人間としての活動に重大な障害のあることは明らかであつて、その精神的苦痛は筆舌に尽せぬのである。

(3)  しかるに被告岡は本件事故当時前から常習的な無謀運転者であり、又被告会社は従業員多数を擁し盛大に酒類の販売をなしているのにも拘らず、右被告会社は原告に対し前記中野病院に対する昭和三四年三月二〇日以降同年五月一〇日までの分の入院費を支払つたのみで、その余の原告の蒙つた前記損害の賠償をしない。

(4)  しかして以上の如き諸点を綜合して考えれば、原告の蒙つた前記精神的苦痛が慰藉さるべき金額は、少くとも金三〇万円を下らないものといわなければならない。

四、よつて原告は、被告岡に対しては民法第七〇九条により、又被告会社に対しては民法第七一五条により、それぞれ右被告両名各自に対し、原告の蒙つた前記(一)乃至(三)の物質的損害金五三万八一三一円及び前記(四)の精神的損害(慰藉料)金三〇万円、以上合計金八三万八一三一円及びこれに対する被告両名に本件訴状が送達された翌日以降の昭和三七年二月一五日から右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、

被告等の主張事実中、被告会社が昭和三四年三月二〇日以降同年五月一〇日までの中野病院における入院費、治療費計金五万六九五五円を支払つたことは認めるが、その余の事実はすべて争うと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として原告の主張事実中、請求原因一及び二の事実は全部認める、同三の(一)乃至(三)及び同三の(四)(1)乃至(4)の各事実中、原告が本件事故によりその事故当日から訴外中野病院に入院したこと及び被告株式会社深野商店(被告会社)が本件事故当日の昭和三四年三月二〇日から同年五月一〇日までの右中野病院に対する入院費、治療費等金五万六九五五円を支払つたこと、又その後原告がその主張の頃大阪市立大学医学部附属病院に入院したこと、原告が本件事故当時五三才(明治三九年五月一一日生)であつたこと、以上の事実はいずれも認めるが、その余の右(一)乃至(三)及び四の(1)(2)に記載の事実は全部不知、又右以外の(四)の(3)(4)に記載の事実は全部争う、なお以上の外原告の主張はすべて争うと述べ、

更に、被告両名は次に述べる理由により、原告主張の損害賠償義務はない。すなわち、

一、まず、被告会社は現在四人の従業員がおり、ミゼツト、単車、自転車等数台を有しているところ、右被告会社は被告岡をはじめ、その従業員を採用するに際し、いずれも「無謀運転をするな、」「事故による費用は負担しないし、その責任は負わないから注意せよ、」等の注意を与えていたものである。したがつて被告会社は被告岡の責任監督につき相当の注意をなしていたものであつて、右の点に関し何等の過失もなかつたから、被告会社には本件事故による損害賠償義務はない。

二、次に原告主張の請求原因三の(一)(二)に記載の治療費等は、本件事故と相当因果関係がないものである。すなわち原告が本件事故により訴外中野病院に入院した当日における同病院の医師の診断によれば、本件事故による原告の傷害は二ヶ月の安静加療を要するとのことであり、又同病院の話では右二ヶ月の入院加療に要する費用は約五万円ということであつたので、被告会社は原告主張の如く右中野病院に対し、昭和三四年三月二〇日から同年五月一〇日までの入院費用等として金五万六九五五円をその頃支払つたのである。したがつて原告がその主張の如く、右昭和三四年五月一〇日を経過した後も引続き中野病院に入院して治療を受け、又更に同年八月一七日以降大阪市立大学附属病院に入院する等してその治療を受けたとしても、右はすべて原告の治療にあたつた医師の誤診乃至手術の失敗によるものというべきである。なお、原告は中野病院を退院した後、右膝蓋骨切除の手術を受けるため更に大阪市立大学附属病院に入院したと主張するが、右膝蓋骨は既に中野病院において摘出されていたものであるし、又そもそも右の如き右膝蓋骨を摘出するためであれば、原告主張の如き長期間の入院加療を要するものとは到底考えられないから、右原告の主張からするも、原告がその主張の如き長期間に亘つて本件事故による傷害の治療を受けなければならなかつたのは、前記の如く医師の誤診乃至手術の失敗に基くものといわなければならない。よつて原告が前記昭和三四年五月一一日以降その主張の如く入院治療を受けたことによつて蒙つた請求原因三の(一)(二)の損害は本件事故と相当因果関係がないものというべきである。

又原告は本件事故後訴外杉森義一を帽子生地の裁断士として雇入れ、同人にその労賃合計金三七万五一五〇円を支払つたので、右同額の損害を蒙つたと主張しているが、右原告の主張によれば、原告は本件事故後右杉森義一を裁断士として雇入れることにより、その後も従前通り帽子の製造加工業を継続していたのであるから、これによつて相当の利益を挙げてきたものというべきである。したがつて原告が右杉森にその主張の如き労賃を支払つたとしても、原告において右労賃相当の損害を現実に蒙つたものということはできない。

よつて被告両名には原告主張の請求原因三の(一)乃至(三)に記載の損害を賠償すべき義務はない。

三、仮りに以上の主張が認められないとしても、本件事故の発生については、次に述べる通り原告にも重大な過失があるから、所謂過失相殺により、被告両名には、最早、原告主張の損害賠償義務はない。

すなわち、原告は本件事故前に自転車に乗つて本件事故現場である大阪市東住吉区田辺本町七丁目一一番地附近の東西に通ずる幅員六、三五米の道路上から、同道路と同所附近において南北に通ずる幅員九、一米の道路(旧矢田街道)とが直角に交る交叉点を西から東に向つて横断しようとしたところ、右交叉点附近は見透しが悪く、かつ右東西に通ずる道路は南北に通ずる通路よりもその幅員が狭いから、かかる状況の下において右東西に通ずる道路上から右交叉点を自転車に乗つて横断しようとする者は一時停止をして左右の安全を確かめた上、右交叉点を横断すべき注意義務があるにも拘らず、原告はこれを怠り、慢然と右交叉点内に進入し、折柄から前記南北に通ずる道路上を原動機付自転車を運転しながら北進してきて右交叉点にさしかかつた被告岡の進路の直前を横断しようとしたため、被告岡において危険を感じ、突嗟にハンドルを右に切つて衝突を避ようとしたが間に合わず、本件事故が生ずるに至つたものである。

したがつて本件事故の発生については、原告にも重大な過失があるというべきであるから、本件事故による被告両名の原告に対する損害賠償額を定めるについては、当然に右原告の過失を斟酌して所謂過失相殺をすべきところ、被告会社は前述の如く原告が本件事故後入院して治療を受けた中野病院に対する昭和三四年三月二〇日以降同年五月一〇日までの入院費、治療費等計金五万六九五五円を支払い又その外に、本件事故後、被告会社において前後二回、被告岡において数回に亘り、それぞれ果物や缶詰類を持参して右中野病院に入院中の原告を訪れ、原告に右果物、缶詰類を送つてその病気見舞をしたし、更に被告岡も本件事故により全治一週間の傷害を受けたから、以上によつて、前記原告の過失を斟酌して定めらるべき被告両名の原告に対する損害賠償額の支払義務はすべて消滅したものというべきである。よつて被告両名には原告主張の損害賠償義務はない。

以上の次第であつて、原告の被告両名に対する本訴請求はすべて失当であると述べた。(立証省略)

理由

一、原告が帽子製造を業とする者であり、又被告会社が酒、醤油類の販売を業とする株式会社であつて、被告岡が右被告会社に雇われ、被告会社所有の原動機付自転車(大阪市二―五九八五一号)を運転して被告会社の酒、醤油類等の配達業務に従事していた者であること、被告岡が昭和三四年三月二〇日、大阪市東住吉区今川町三丁目方面にある被告会社の得意先に商品を配達すべく、前記被告会社の原動機付自転車にソース等を積み、該自転車を運転して、通称旧矢田街道を時速約三〇粁で北進し、同日午後一時一五分頃同市同区田辺本町七丁目一一番地先の右旧矢田街道と同所附近から東西に通ずる道路とが直角に交る十字路(交叉点)の手前附近にさしかかつたこと、その際、被告岡が原告主張通りの注意義務を怠つた過失により、折柄、右交叉点の西方東西に通ずる道路上から自転車に乗つて右交叉点を横断しようとした原告の右自転車の前部に、自己の運転する前記原動機付自転車の左バンバー附近を突当てて原告をその場に転倒させ、よつて原告に脳震盪症、右膝蓋骨骨折兼膝関節部挫創、陰茎挫創、両上肢挫創、顔面挫傷等の傷害を負わせたこと、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いない。

してみれば、右本件事故は、被告岡が被告会社の業務の執行をするに際し、その過失によつて惹起したものというべきであるから、被告岡は民法第七〇九条により原告に対し、本件事故によつて原告の蒙つた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

二、次に被告会社は、被告岡をはじめ、その従業員を採用するに際し、いずれも、「無謀運転をするな、」「事故による費用を負担しないし、その責任は負わないから注意せよ、」等の注意を与えていたもので、これによつて被告会社は右被告岡の選任監督につき相当の注意をなし、その間に何等の過失もなかつたから、被告会社には原告主張の損害賠償義務はないと主張しているところ、被告岡嘉文及び被告会社代表者深野武夫は、いずれもその各本人尋問において、「被告会社は、被告岡をはじめ、その従業員に対し、日頃右被告会社主張の如き注意を与えていた」旨の供述をしているが、右事実のみからは、被告会社が被告岡の選任監督につき相当の注意をなしていたものとは到底認め難いのであつて、他に被告会社が被告岡の選任監督につき相当の注意を怠らなかつた事実を認め得る証拠はない。してみれば被告会社も民法第七一五条により原告に対し、本件事故によつて原告の蒙つた損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

三、そこで次に、本件事故によつて原告の蒙つた損害額について判断する。

(一)  原告が本件事故当日から訴外中野病院に入院したこと及び被告会社が本件事故当日の昭和三四年三月二〇日から同年五月一〇日までの右中野病院に対する入院費、治療費等計金五万六九五五円を支払つたこと、その後原告がその主張の頃大阪市立大学医学部附属病院に入院したこと、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いなく右争いない事実に、成立に争いない乙第三号証、官署作成名義部分につきいずれも成立に争いないから、その全部について成立の認め得る甲第二号証の一の(一)乃至(九)、同号証の二の(一)乃至(七)、同号証の三の(一)(二)及び(五)(六)、第四号証(以上の甲号各証はいずれも全部官署作成名義のものである)、官署作成名義部分につき成立に争いなくその余の部分につき、証人杉本アサヱの証言により成立の認め得る甲第一号証の三、右証人杉本アサヱの証言により成立の認め得る甲第一号証の一、同号証の二の(一)乃至(六)、第二号証の三の(三)(四)、並びに証人杉本小三郎、同杉本アサヱ、同杉森義一の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

(1)  原告は本件事故により、前記の如く脳震盪症、右膝蓋骨骨折兼膝関節部挫創、陰茎挫創、両上肢挫創、顔面挫傷等の傷害を受けたため、右事故当日の昭和三四年三月二〇日から引続き訴外中野病院に入院してその治療を受けたこと、そして原告は同年五月一日右中野病院において右膝部の手術を受け、ついで同年六月中旬頃一旦右中野病院を退院したが、その後の経過が芳しくなかつたので、その四、五日後に再度右中野病院に入院し、以後同年八月七日まで同病院に入院してその治療を受けていたこと、ところで右中野病院における原告の入院費、治療費等のうち、その入院当日の昭和三四年三月二〇日から同年五月一〇日までの分は、被告会社においてこれを支払つたので、原告は現在右中野病院に対し、右同年五月一一日以降同年八月七日までの入院費、治療費等合計金六万八三七〇円の支払義務を負担していること、

(2)  次に原告は右中野病院を退院した後も、同病院における右膝の治療の効果が芳しくなかつたため、同年八月一七日から同年一一月一日まで大阪市立大学医学部附属病院に入院して右膝部の手術を受け、更に右病院を退院した後も引続き同病院に通院してその治療を受けたこと、そして原告はその間における右入院費、治療費として同病院に対し、合計九万三五七一円を支払つた外、右入院中、訴外重田ふとん店外一名にふとん代手術用ガーゼ代等合計金一〇四〇円を支払つたこと、

以上の如き事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば原告は本件事故により、以上(1)(2)の入院費、治療費等合計金一六万二九八一円の損害を蒙つたものというべきである。

なお、被告両名は、原告が右の如く二ヶ月以上の長期間に亘り入院して治療を受けたのは、原告の治療に当つた医師の誤診乃至手術の失敗に基くものであるから、原告の蒙つた右(1)(2)の損害は本件事故とは相当因果関係がないと主張しているが、右被告等主張の如く原告の治療に当つた医師が原告の病状を誤診し、又はその手術を失敗したために前記の如き二ヶ月以上の入院加療を要したとの事実を認め得る適確な証拠は何等ない。尤も前掲乙第三号証の診断書には、原告の前記傷害は本件事故当日である昭和三四年三月二〇日以降約二ヶ月の安静加療を要する旨の記載があるが、右診断書の記載のみから、直ちに原告の右傷害がその当初から二ヶ月を経過すれば、絶対確実に治癒すべきものであつたとは認め難いから、右乙第三号証の記載をとらえて、原告が前記の如く二ヶ月以上の長期間に亘り入院加療をしたのは、すべて原告の治療に当つた医師の誤診乃至は手術の失敗にのみ基くものであると認めることのできないことは勿論である。よつてこの点に関する右被告等の主張は失当であつて、本件事故により原告が前記の如き重傷を負つた以上、原告がその後昭和三四年五月一一日以降も引続き中野病院や大阪市立大学医学部附属病院に入院する等して、右傷害の治療を受け、そのために蒙つた前記(1)(2)の損害はすべて本件事故と相当因果関係があるものといわなければならない。

(二)  次に証人杉森義一の証言により成立の認め得る甲第三号証の一、二、証人杉本アサヱ、同杉森義一の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると次の如き事実を認めることができる。すなわち、原告は本件事故前から帽子製造業を営んでいたものであるが、右原告の営む帽子製造業は生地を裁断してこれを加工することを内容とするものであつて、原告は本件事故当時、その家族である妻及び娘と共に、三名の女子従業員並びにその外にミシン工として訴外杉森義一を雇入れ、家内工業的に右帽子製造業を営んでいたこと、ところで右帽子製造に必要な生地の裁断は相当の熟練と力を要するところから、原告方においては専ら原告だけが右生地裁断の仕事に従事していたこと。しかるに原告は本件事故による受傷のため、本件事故当日の昭和三四年三月二〇日午後から同年一一月一日までは、前記の如くほとんど中野病院や大阪市立大学附属病院に入院してその治療を受け、又同年一一月一日右大学附属病院を退院した後も、引続き同病院に通院してその治療を受けていたばかりでなく、同三五年四月末頃までは、前記右膝蓋骨骨折による右足の屈伸障害のため松葉杖なしでは歩行することさえも困難な状況にあつてその間右裁断の仕事に従事することのできなかつたことは勿論、その他の軽作業に従事することさえも不可能となり、そのままでは右帽子製造業を続けることができなくなつたこと、そこで原告は本件事故後、やむなく、前記の如くかねてミシン工として雇入れていた杉森義一が偶々帽子生地裁断の技術を有していたところから、同人に依頼して、右原告に代り右生地裁断の仕事に従事して貰うことにし、かつその労賃は、従前とは別に、裁断生地一ダース当り金二〇円として出来高払にすることにしたこと、そしてその後右杉森義一は右原告の依頼により前記原告の就労不能期間中である昭和三四年三月二〇日頃から同三五年四月末日頃までの間に帽子の生地合計一万八七五七、五ダースを裁断したので、原告は右出来高に応じ、その頃一ダース当り金二〇円、合計金三七万五一五〇円を右杉森に支払つたこと、以上の如き事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば原告は本件事故による受傷のため、昭和三四年三月二〇日の午後以降同三五年四月末日頃までの間就労不能となり、自から帽子生地裁断の仕事に従事できなくなつたので、やむなく自己に代つて杉森義一に右裁断の仕事に従事させ、かつ同人にその労賃として合計金三七万五一五〇円を支払つたものであつて、原告は本件事故により右同額の損害を蒙つたものといわなければならない。尤も被告等は、原告は右杉森義一に帽子生地裁断の仕事に従事させることにより、従前と同様に営業を続けて利益を挙げていたから、右杉森にその労賃を支払つたことを以て、現実に右労賃相当の損害を蒙つたものとはいえないと主張しているが、上来認定したところから明らかな通り、原告は本件事故による傷害を受けなければ、その後も引続き自ら右帽子生地裁断の仕事に従事してその営業を続けることにより、従前と同様の利益を挙げ得たものであつて、前記の如く自己に代つて右杉森を帽子生地裁断の仕事に従事させ、かつ同人にその労賃を支払う必要はなかつたのであるから、原告が右杉森に支払つた前記労賃合計金三七万五一五〇円は、前記の通り、本件事故によつて原告が現実に蒙つた損害であるといわなければならない。

(三)  次に原告主張の精神的損害について判断するに、前掲甲第四号証、乙第三号証、証人杉本小三郎、同杉本アサヱ、同杉森義一の各証言及び原告本人尋問を綜合すると、次の如き事実を認めることができる。すなわち、原告は本件事故当時満五三才(明治三九年五月一一日生)であつて、その家族には妻の外当時二五才の長女と中学二年の次女があり、原告が一家の主人として前記の通り家内工業的に帽子製造業を営んでその生計を支えていたこと、ところで原告は本件事故による受傷のため、前記の通り事故当日の昭和三四年三月二〇日から同年一一月一日までは、ほとんど中野病院及び大阪市立大学医学部附属病院に入院してその治療を受け、又その後も引続き右大学の附属病院に入院してその治療を受けていた外、同三五年四月末頃までは松葉杖なしでは歩行することさえも困難な状態にあつて、その間前記家業である帽子製造の仕事に従事することが全くできなかつたこと、又原告は本件事故による受傷のため当初の一〇日間位は三八度乃至三九度の発熱をして苦しんだ外、その右膝蓋骨は本件事故による骨折のため、その後前記大阪市立大学医学部附属病院における手術の結果取り除かれて存在しなくなり現在においては、その右膝を一七〇度以上垂直に伸ばすことができないし、又内屈も一〇〇度以内に屈折することができず、その筋力も四(正常は五)に低下したことそのために原告は通常の歩行にも跛行しなければならないし、特に階段の上り下りには著しく不自由を感じており、又長時間椅子に腰かけていることも困難な状態にあつて、上記のような身体障害は将来も完治する見込がなく、この点後遺症として残こること、そして原告は右身体障害のため、今後は従前の如く力のいる帽子生地裁断の仕事に従事することはほとんど不可能であつて、わずかに右生地裁断以外の帽子製造に関する軽作業に就くことができるに過ぎないこと、以上の如き事実が認められ他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかるに一方被告会社は、本件事故後、前記の如く昭和三四年三月二〇日以降同年五月一〇日までの原告の入院費、治療費等を支払つた外は、被告岡嘉文、被告会社代表者深野武夫各本人尋問の結果によれば、被告岡及び被告会社の代表者が中野病院に入院中の原告を数回訪問してその病気見舞をしたことのあることが認められるのみであつて、以上の如き諸点を綜合して考えれば、本件事故によつて原告の蒙つた精神的苦痛は甚大であり、かつこれに対する慰藉料額は金二〇万円を以て相当と認むべきである。したがつて右金員を超える原告の慰藉額に関する主張は失当である。

よつて原告は、本件事故により、以上(一)(二)の物質的損害計金五三万八一三一円、及び(三)の精神的損害金二〇万円以上合計金七三万八一三一円の損害を蒙つたものといわなければならない。

四、次に被告両名の過失相殺の主張について判断する。

前記一の当事者間に争いない事実、並びに成立に争いない乙第一号証、第二号証の一、二、同第五号証乃至第八号証、証人的場昭生、同杉本小三郎の各証言及び被告岡嘉文、原告杉本定雄各本人尋問の結果を綜合すると次の如き事実を認めることができる。すなわち、被告岡は前述の如く本件事故直前、被告会社所有の原動機付自転車を運転して大阪市東住吉区田辺本町七丁目附近の南北に通ずる幅員約九、一米の道路(通称旧矢田街道)上を時速約三〇粁で北進し、本件事故現場である同町七丁目一一番地先の右南北に通ずる道路と同所附近から東西に通ずる幅員約六、三五米の道路とが直角に交る交叉点の手前附近にさしかかつたこと、ところで右交叉点の手前附近の南北に通ずる道路上の西側には当時自動三輪車が停車しており、かつ右交叉点の南西角には人家が並んでいて交叉点の西側東西に通ずる道路上の見透しは困難であつたこと、したがつて原動機付自転車を運転して右の如き交叉点を南から北に向つて横断しようとする者は、右交叉点の西側東西に通ずる道路上から右交叉点に進入してくる自転車等のあることを予測して左右の安全を確かめ、かつ危急の場合には何時でも急停車できる程度に減速して進行すべき注意義務があるにも拘らず、被告岡はこれを怠り、前記自動三輪車の停車している附近で、反対方向から進行してきた自動車とすれちがつた後、チエンジをトツプに入れて右交叉点を時速約三〇粁で南から北に向つて横断しようとしたため、折柄、右交叉点を自転車に乗り、西から東に向つて横断しようとしていた原告をその約七米に接近した地点ではじめて発見し、危険を感じて突嗟に避ける措置をとつたが間に合わず、本件事故を惹起したものであること、一方原告は前記の如く本件事故前、自転車に乗つて右東西に通ずる道路上から、前記交叉点を西から東に横断しようとしたのであるが、その際右原告は右交叉点の手前で一旦自転車を止めて左右を見たところ、自己の左側(北方)南北に通ずる道路上を北から南(交叉点方面)に向つて自動車の進行してるのを認めたので、暫く同所に停止して右自動車の通り過ぎるのを待つたこと、そして右自動車が自己の前を通り過ぎると同時に、その後は改めて見透しのきかない右側(南方)の前記南北に通ずる道路上の安全を確かめずに慢然と右交叉点に入つてこれを横断しようとしたこと、そのために、原告は、折から被告岡の運転する前記原動機付自転車が右原告の右側(南方)南北に通ずる道路上を北進し、同道路上から右交叉点を南から北に向つて横断すべく、原告の至近距離に接近してきたことに全く気がつかず、そのまま被告岡の運転する原動機付自転車の進路の直前に進み出たため、前記の如く被告岡において避ける措置をとつたが及ばず、本件事故が起きたこと、以上の如き事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば原告は本件事故直前に、自転車に乗つて幅員の狭い道路上から、該道路と幅員の広い道路とが直角に交る交叉点に出てこれを横断しようとしたものであるから、その際には前記の如く南北に通ずる広い道路上を北から南に進行してきた自動車の通り過ぎた後にも、改めて見透しのきかない自己の右側南北に通ずる広い道路上を南から北に向つて進行して来る原動機付自転車等の有無を確かめ、その安全を確認してから右交叉点を横断すべき注意義務があつたにも拘らず、これを怠つたものというべきであるから、本件事故の発生については、原告にもその過失があつたものといわなければならない。しかして上来認定の事実関係からすれば、右原告の過失と、前記被告岡の過失とは、本件事故の発生につき、前者が約二、後者が約八の原因力を有するものと解するのが相当であるから、右原告の過失を斟酌し、なお、前記の如く被告会社が原告の中野病院に対する昭和三四年三月二〇日以降同年五月一〇日までの入院費、治療費等合計金五万六九五五円を支払つている点を考慮して、前記原告が蒙つた損害額金七三万八一三一円のうち、被告両名各自にその賠償責任を負わせる額は、金五七万九一一三円を以て相当と認むべきである。(尤も右被告両名の損害賠償義務は不真正連帯の関係にあるものである。)

なお、被告両名は、被告会社は本件事故当日から同年五月一〇日までの原告の入院費等を支払つたし、又被告岡及び被告会社代表者は本件事故後原告を中野病院に訪れてその病気見舞をし、かつその際果物及び缶詰類を送り、更に被告岡は本件事故により一週間の傷害を受けたとの各事実を前提として、右原告の過失を斟酌するときは、被告両名の損害賠償義務は全部消滅したと主張している。しかしながら本件事故の発生に対する原告の過失と被告岡の過失の程度は、前記認定の通りであつて、右原告の過失を斟酌しかつ被告会社が原告の入院費等の一部を支払つた点を考慮しても、被告両名各自の損害賠償額は前記金五七万九一一三円と認むべきであり、又本件事故後、被告岡及び被告会社代表者が前記の如く原告を数回中野病院に訪れてその病気見舞をしたことの外は、被告等主張の如く、果物及び缶詰類を原告に送つたことを認め得る証拠がないのみならず、右被告等の主張事実は、前記三の慰藉料額を決定するについて斟酌さるべきことであつて、本件事故による原告の蒙つた前記認定の損害額に対する一部弁済とは到底認められないし、更に被告岡が本件事故によりその主張の如き傷害を受けた一事を以てそのことから直ちに原告の蒙つた右損害に対する被告等の賠償責任を軽減すべき事由になるとは解し難いから、右被告等の主張は失当である。

五、以上の理由により、原告の本訴請求は、被告岡に対しては民法第七〇九条に基き、被告会社に対しては民法第七一五条に基き、右被告両名各自に対し、本件事故による損害賠償として、前記金五七万九一一三円及びこれに対する本件訴状が被告両名に送達された翌日以降であることが記録上明らかな昭和三七年二月一五日から右支払済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるから、右限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条本文第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき、同法第一九六条を各適用して主文の通り判決する。

(裁判官 後藤勇)

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